「最強のふたり」鑑賞したので感想を書くことにしました。
見ようと思ったきっかけ
マコなり社長のこの動画を観て、私も見たくなったからです。
マコなり社長は他にも別の映画を紹介していましたが、私があえてこの映画を選択したのには理由があります。
この動画内でも紹介されましたが、
という内容に無視できなかったからです。さらに、
ありのままの自分で相手に接すること
私自身、ありのままで相手を理解しようとしているのか、ありのままの自分で相手と接しようとしているのか、とても悩むことがあります。
配慮が思い通りにいかなかった時期
独身時代SEをやめてから地元に戻り、ある一般事務の派遣をしていたことがありました。
それは、ガス事業の会社の事務業務です。
その地元は高齢者が多く住んでいるので、問い合わせの電話はだいたい高齢者からでした。
丁寧に応対しなければと思ってやりとりするのですが、それがかえって逆効果でした。
高齢者にとって、私の馬鹿丁寧な応対は慇懃無礼だったのです。
そんなことを思い出させられたのと、今現在も「固着した配慮」を私はしていないか?と自問自答することがあります。
だから私はこの映画を見ることで、配慮とは何か向き合ってみたくなりました。
感銘を受けたシーン
ドリスの義理の弟が悪友とのトラブルに巻き込まれたことで、ドリスはフィリップの介護をやめ、フィリップのもとから離れることを余儀なくされました。
そしてフィリップのもとに新しい介護士がやってきますが、フィリップは受け入れることができませんでした。
ある夜フィリップは発作を起こすのですが、その介護士ではそれを抑えることができませんでした。
それを見かねた女性スタッフのイヴォンヌが、辞めていったドリスを呼び寄せます。
フィリップを連れ出したドリスは、フィリップの文通相手エレオノールの町まで連れていきました。
フィリップは、エレオノールに障碍者だと知られるのを恐れていました。
それを知っていたドリスの思いやり溢れる計らいのおかげで、フィリップとエレオノールは安心・信頼の下で対面することができたのです。
その時ドリスはフィリップに「席を外すよ」と言いましたが、この瞬間こそ、ドリスとフィリップの本当の別れなんだと、私は感じました。
ここからは映画から離れた話になりますが、
アドラー心理学「幸せになる勇気」という本があります。
そこでこんな一文があり、ツイートで引用しました。
全ての対人関係において
ただひたすら
最良の別れに向けた
不断の努力を傾ける
この一文は、私の中で最も印象の強い部分です。
この描写をドリスとフィリップが体現した形で目の当たりにしたことで、私はしばらく泣き止むことができませんでした。
幸せになる勇気と最強のふたりは、作品としては全くの無関係だとは思います。
ですが私にとってはこの内容に強いリンクを感じ、とてつもない感動を味わいました。
まとめ
ありのままの自分・感情で人と向き合い、最良の別れに向かう
これに尽きるのでしょうか。
なんだか別れを前提に人と向き合うのはとても寂しいですね。
でもこれを乗り越えた先に本当の幸せがある。
頭でわかっていても、まだ、受け入れられない自分がいます。