雑記

思考の及ばないところで、身体は執着をしている

心にある執着を手放そうと、日々邁進するぼへみんです。

気が付いたことがあったので、ここに徒然に残しておこうと思います。

そもそも執着を手放すとは、いったいどうやるんだ?って思ってる人もいると思います。

実際、私が執着の手放しを実践して、理屈やメカニズムがだいたいなんとなくわかってきた、くらいのレベルなので、執着の手放しはこうやるんだよ、と明確に伝えるのは難しいと感じています。

ただ、今日新たな気づきが得られたので、ここに言語化しておこうと思います。

何かものごとに執着している、例えば、スマホ依存だったり、SNS中毒だったり、誰かのことが気になりすぎて頭から離れなかったり、、

本当は、やりたいことや、やらなければならないことがあるのにも関わらず、これらの執着によって、思うとおりに行動できないでいる、

こういう時に、執着を手放したい、という思いが生まれると思います。

ではいざ執着を手放そう、やり方はどうするんだ?と調べて実践しても、いまいち実感があいまいだったりするんですよね。

ということは、思考レベルでは、執着を手放しきるということは、ほぼ不可能だと思うんです。

一方で、無意識レベルに、執着がなくなったと、体感するタイミングが訪れることも確かなんです(実際それをさっき体感したので)。

どんな体感かというと、身体中に安心感が満たされる、身体が緩んで血液やリンパの巡りが良くなっているような気がする、故に、日ごろから悩んでいる便秘が解消する。

この状態になると、やりたいことや、やらなければならないことが、苦労なくできるようになる。

執着していた事柄についても、あまり気にならなくなっている。

どうして、身体中に安心感が満たされたのかというと、無意識レベルで愛を感じたということ(抽象的な表現ではあるのですが)。

誰かから、何かから、自分は大切にされているなと、思考レベルではなく、無意識レベルで体感できたことで、安心感 → 身体がリラックス状態 → 執着が消えている

そんな状態になれたから、今こうして、ずっと更新したくてもできなかったブログ投稿が、できるようになったんだろうな、と感じています。

ぼへみんより

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